今日の朝、テレビでやっていたノーベル賞を受賞した日本人の中村さんですが、発明当時の報奨金が2万円だったそうです!思わずびっくり!
あの当時、何気なく見ていたテレビでは、勤めていた会社と裁判をしていた中村さん。
現在は、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の教授として新たな研究、開発をしているそうです。
青色LEDの次はレーザーだ、とも朝のテレビでは言っていました。
「若い研究者へ向けて、何か一言お願いします」という問いかけに、中村氏は自身の生い立ちを少し話していました。
「自分は、ずっと四国から出た事がなかった。そんな田舎にずっといた私が今このように受賞をしているわけですから、私を見てもらえれば一番の励みになるのではないでしょうか?」と答えていました。
そこで、中村氏の事を少しまとめてみました。
出身地からのこと
出身は、愛媛県。
その後も県内の中学校、県立大洲高等学校普通科へ入学・卒業し、徳島大学へ入学したとの事です。
徳島大学を卒業した後は、徳島県内にある日亜化学工業㈱へ入社となります。
その日亜化学工業㈱社員時代に、フロリダ大学電子工学部へ一年間の留学をしています。
その後、青色発光ダイオードを開発します。
その時に会社から出た報奨金の額が、2万円だったそうです。
そして皆さんもご存じな「青色LED裁判」へとなっていきます。
裁判の内容について簡単に説明すると、特許を巡っての裁判でもあったわけですが・・・
一審の東京地方裁判所では、日亜化学工業に対し佐々木氏が請求した約200億円の支払いを命じる判決。
その後の控訴審の東京高等裁判所では、裁判所が和解勧告をだし、両者とも受け入れ裁判は終了。
その時の和解金は約8億円と言われています。
裁判について詳しい事が知りたい方は、「404訴訟」を検索すると出てきます。
この裁判を起こす時に、裁判を起こせば中村氏は将来ノーベル賞はもらえなくなるぞ、等と言われたりしたそうです。それでも、納得がいかなかったのでしょう。
時を経て、その時に助言した人はさぞかし今回の受賞を聞いて、ビックリした事でしょう。
やはり、研究や開発結果が評価されたという事になるのでしょうか?
和解金の使い道は
税金や弁護士費用、住宅ローンを支払い、残りはアフリカの貧しい人に太陽電池を贈る団体に寄付したそうです。
これを聞くと、単にお金のために裁判をおこしたわけではなく、未来の研究者たちのためにおこした裁判だったのかも知れませんね。
そこまで、何か信念をもち貫きとおす事ができる人ってなかなかいないですよね。
裁判の時の印象があまりに強かったので、あまり良い印象を持っていなかったのですが、今日のテレビでのインタビューなどを聞いていたら、持っていた印象とは違う方だと思い、著書をみると結構色々な本を出されているようです。
この本は、プレミア価格がついておりビックリしました。
今度、手軽に購入できる金額の本を読んでみたいと思います。